通なんはどっちや?
6: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:17:25.61 ID:IhmnWPzva
どちらもありえない
諸葛亮か亮か孔明
諸葛亮か亮か孔明
13: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:18:39.32 ID:6E6xzze+p
前者は字がわかってない無知やんけ
7: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:17:27.90 ID:fVlZKzN+d
通は亮としか言わんで
59: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:29:02.80 ID:3OIYUXMga
>>7
正史の作者かな?
正史の作者かな?
53: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:27:28.35 ID:nKJNS/E60
亮はミドルネームなんか?
63: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:30:25.54 ID:YxxKGcIjd
>>53
亮が本当の名
ただし当時の風習として親や主君以外が名を呼ぶのがタブーだったのでので字が設けられた
亮が本当の名
ただし当時の風習として親や主君以外が名を呼ぶのがタブーだったのでので字が設けられた
27: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:21:24.35 ID:QlybOTtcp
亮は諱みたいなもんやろ
周囲には公開しない名前
周囲には公開しない名前
17: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:19:12.79 ID:9tZX5CjcH
諸葛亮孔明が一番言いやすい
47: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:25:44.80 ID:ObqOabXm0
>>17
コレメンス
口に出して言いたくなる
コレメンス
口に出して言いたくなる
26: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:21:05.57 ID:etlsQ4kZ0
>>17
これ
まあ諸葛孔明って言うけどさ
これ
まあ諸葛孔明って言うけどさ
40: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:24:10.30 ID:Q82WR7NP0
そもそも諸葛亮孔明は呼び方としておかしい
48: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:26:36.75 ID:uguYbOsY0
諸葛亮、字は孔明やぉ
8: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:17:46.28 ID:+VEVrbHE0
諸葛亮孔明はないらしいわ
諸葛亮か諸葛孔明
諸葛亮か諸葛孔明
24: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:20:50.24 ID:9Wi7M19E0
首都大学東京みたいな感じで亮孔明諸葛にしようや
18: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:19:24.49 ID:4/z6JDR90
でも諸葛孔明の語感はええよな
呂奉先とか趙子龍とかもええ
呂奉先とか趙子龍とかもええ
22: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:20:38.52 ID:w8exTvCaa
>>18
無双で何回も言うからそう覚えたわ
無双で何回も言うからそう覚えたわ
61: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:30:09.09 ID:ecxjKOLUd
>>22
無双じゃ諸葛亮で統一されてて誰も孔明と呼んでないやん
無双じゃ諸葛亮で統一されてて誰も孔明と呼んでないやん
12: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:18:22.13 ID:VweeSQker
J民は益徳派か翼徳派のどっちなんや?
34: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:23:19.96 ID:06PIJIWb0
>>12
りんりんなのだー
りんりんなのだー
20: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:20:06.06 ID:LMUAWJkz0
劉玄徳←ええやん
劉備玄徳←キモすぎるだろ
劉備玄徳←キモすぎるだろ
50: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:27:12.93 ID:ObqOabXm0
>>20
わからんわ
下の方がかっこいい
わからんわ
下の方がかっこいい
28: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:21:41.26 ID:e9H91jzA0
馬超は?
32: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:22:24.34 ID:LMUAWJkz0
>>28
馬超孟起とは言わんやろ
馬孟起
馬超孟起とは言わんやろ
馬孟起
33: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:22:54.75 ID:RN3fEVfPd
曹孟徳って言うだろ
それと同じ
それと同じ
36: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:23:44.55 ID:tXDyLQ9P0
関羽とか司馬懿とか全ての登場人物が日本では姓名で呼ばれてるのに
なんでただひとりだけ諸葛孔明なんだよおかしいだろ。
差別か?
なんでただひとりだけ諸葛孔明なんだよおかしいだろ。
差別か?
43: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:24:32.42 ID:LMUAWJkz0
>>36
「孔明の罠」が有名すぎるからそっちが定着してしまったパターン
「孔明の罠」が有名すぎるからそっちが定着してしまったパターン
30: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:21:56.58 ID:NUIdLFp90
諸葛孔明派は劉邦のことを劉季と呼ぶんだろうか
諸葛亮派は項羽のことを項籍と呼ぶんだろうか
諸葛亮派は項羽のことを項籍と呼ぶんだろうか
35: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:23:24.97 ID:x3f1oit50
>>30
好きな人物なら敬意を表すために字
それ以外は諱呼びやぞ
好きな人物なら敬意を表すために字
それ以外は諱呼びやぞ
41: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:24:11.00 ID:RN3fEVfPd
>>35
字呼びはめちゃくちゃ親密か、敵対関係にあるかやろうな
字呼びはめちゃくちゃ親密か、敵対関係にあるかやろうな
51: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:27:14.82 ID:x3f1oit50
歴史書でも編者が好意を持っとる人物にたいしては姓又は氏+字表記にしとる例があるしな
57: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:28:55.05 ID:D90UFsdua
北魏?の頃やったと思うが葛亮て呼んでる文章もあるで
字数や語呂を合わせるためなんやろな
字数や語呂を合わせるためなんやろな
39: 風吹けば名無し 2018/03/10(土) 19:24:04.80 ID:YxxKGcIjd
名と字がおんなじな郭子儀子儀さんを馬鹿にするな!
転載元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1520676982/
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月英が「孔明様」いうとるやん
名 諸葛
諱 亮
時 孔明
他人が呼ぶ場合
・敬意を込めて役職でいう(諸葛武公)
・距離がかなり近いときに親愛の意味で字でいう、もしくは完全に侮辱(孔明)
後世の創作で馬超が降ってきて「玄徳」連呼して関張が殺気立って思わず殺そうとした
・親しくない・敵対(亮・諸葛亮、自分のことを主にいう場合も諱でいう)
・普通の人(諸葛孔明)
日本語として語呂がいいが完全に用法として間違ってるもの(諸葛亮孔明)
例えていうなら織田三郎信長やら柴田権六勝家とか徳川竹千代家康とかいってるに近い
王朝公式の石碑に姓+諱+字で書いてあるし
正史にも徐庶元直とか出てくるから諸葛亮孔明でも問題ない
諱がどうとかは面と向かって呼ぶ場合の話であって表記とはまた別問題って書いてるニキいたけど
実際のとこどうなんですかね?
教えてエロい人
江戸時代の木版画にあるくらいなので
中国とは違うが日本流の呼び方として良いのではとも思うな
諱を呼ぶ風習は無い
それに田中芳樹は三国志が嫌いなようで、「孔明が天才軍師なら何故天下を獲れなかったw」と作中の人物に馬鹿にさせていた(田中芳樹の三国志関連の作品は夏候覇と荀彧の子孫という地味な短編だけだったな)
なお「一騎当千」の作者は「孫策伯符」と表記しているが、連載前の馬超を主役にした短編で「馬孟起」と正しく表記しているから誤りと分かって名乗らせている
大河ドラマでも「(苗字)○○守」と諱を呼ばんだろ
結構適当なもんじゃないの?
名を呼ぶのは非礼という・・・、元から名を呼ぶことはほとんどないか。
亮=信長
孔明=上総介
信玄はただの法名であって、晴信信玄と言われないのは当たり前。
それをいうなら武田太郎晴信になるが、これはこれで使われる事もあるし。
諱を呼ぶ事は普通にある。秀吉の手紙に信長と普通に書かれているし、当時においては諱を呼ぶことはさほど珍しい事でもなかった。
嘘だと思ったら「孫文逸仙」とかでぐぐってみると良い。
「号」や「字」が廃れてきたしな。
その田中芳樹がニワカ知識でそんなこと書いたから
姓諱字の表記は間違いとか言ってマウント取るやからが増えた
そもそも呼びかけであれば字すら通常は使われない
姓+官職名が普通、刺史なら史君とか
文書の表記なら三国志でも徐庶原直等、史記でも上記述の通り、姓諱字は普通に使われる
諸葛亮批判なんてニワカ御用達、政情も安定した強国に弱国が攻め込んで滅ぼした例などどこにあるのか
それであってる。
田中芳樹は小説書く時の作法として姓名字を続けて呼ぶのはおかしいと指摘してるだけで
並べて表記してはいけないなんていってない。
それがネットに又聞きで伝わって文法上のルールのように捉えてしまった人が多いだけ
上総介は官職名だから(自称だが)、字のようなものではない
比較するなら織田三郎信長
この手の表記は手紙なんかでも普通に用いられる
※9
諱を発声するのが失礼なんだろう
清正(せいしょう)公とかならセーフ、文章でも相手に送るときは普通は使わない
信玄宛への手紙なら武田大膳大夫殿、家臣なら御館様、もし隠居すれば隠居先の地名+殿
伊達輝宗だったら舘山城に隠遁したから舘山殿とか
↑だれだよこいつ
書面に書くことはあっても諱は呼ばない
子供のころは幼名で呼ばれるし、大きくなったら通称で呼ばれる
小説とかドラマで太郎とか二郎三郎が出てこないのは
多すぎてだれか分からないから
あの頃のガイエは厨二病だったからな
書面に出てくる時点で普通に使われるだろ。
日本では避諱は定着しなかったんだから、諱を読んだとかで文句いったような話は聞いたことないしな。
日本でもあったぞ。義経は九郎判官だし
家康は内府だし秀長は大和大納言だし
井伊直弼は井伊大老だし
呼び捨てにするのは完全に敵対したときに使う
謙信が信玄を寺社に納めた願文では晴信っていってるし
時代劇アニメゲームで家臣や農民が信長様とかいってるけど
当時そんなことをすれば完全な無礼者で殺されても文句言えない
書面でも特殊なケース以外は使われないって
秀吉が亡き信長を諱呼びしてるのは本来相当の無礼、本能寺直後は上様と書状に書いてる
信長と呼び捨てにしたのは明らかに自分の権力誇示の為
陪臣にだって直江山城、鍋島飛騨とかだよ
諱を呼ぶのが無礼なんてのは後世の誤解にすぎんよ。
実際殺された人なんていないしね
僕が殺された人なんて知らないからいない、無礼じゃないじゃ話にならん
いつまでレスバすれば気が済むのか。
こういう歴史系のまとめで歴史も語らず煽りカスやってるアホってなに考えてんの?
なら殺された人や無礼だとされた事例を具体例としてあげてみろよ。
平安時代から避諱の事例があり、官職呼び、有識読みなどが一般化してるだろうに
そもそも呼ばれることがないから、正しい読み仮名なんて臣下は知らん
それに無礼うちの内容、なにを言ったかなんて残ってないのがほとんど
一般的に無礼であったとされてるんだから、それに反論するなら
生きてる主君、目上を諱で書いてる手紙でも自分が出したら?
諱呼びが無礼は俗説で新説論文書けるぞ
かまってももう無駄だよ
説明しても具体例あげても聞く耳持たないんだから
へし切り長谷部の逸話で切られた坊主だって
無礼討ちされたけど何が無礼だったのか一切伝わってないからな
ハッキリわかるのは生麦事件で下馬しなかったイギリス人が
無礼であると切られたことくらいでこれは相手がイギリス人だから判明したってだけだし
関ヶ原でも馬に乗ったまま口上を言うとは何だ!って使い番が切られてるけど
日常的に殺し合いしてる連中なんだから態度や言動で
ちょっとカチンと来たらすぐに殺しちゃうんだから
陸遜の孫の陸機が「あなたは呉の陸遜と関係があるのか」と聞かれて
祖父の諱を呼ばれたことに腹を立てて相手の祖父の諱を返したって話があるな
日本でも諱を呼ばず官職名で呼ぶと言う不便が広まっておきながら
それが不遜であるということは広まらなかったとは考えがたいが
官職の中納言呼びは家臣側に更に上の官職持ちがいるから避けたんだろうけど
『上様』とは呼ばれてないな。
まぁ避ける傾向にはあったけど
絶対忌避とまではいかない程度じゃね?
(書状の宛先は秀頼馬廻りの郡宗保)
一書申入候、仍秀頼様へ御口切之時分候間、
松の落葉五十俵進上申候、幷古賀梨百上ケ申度候、可然候ハヽ、
御披露候て可被下候、門主へも申入候間、被仰談候て可給候、其地御無事之儀候哉、
此方無異儀候間、可御心安候、尚期後音候、恐惶謹言、
九月二日 黒筑前守 長政(書判)
両方の事例とも本人宛じゃないからなあ、有識読みでしゅうらい様と呼ぶことはセーフなわけだし
上様は古くは天皇、室町時代は大名、江戸時代に入って将軍への呼び名になったから
この頃、秀頼を指して上様とは呼ばないんだろう、この時代は屋形号をもってない大名が上様かな
信長は上様だったけど、秀吉、秀次が殿下と呼ばれていたし他の大名も呼ばれる呼び名を秀頼に使えるんだろうか
太閤様御覚書でも
「若不届仁有之而きり候ハゝ 、 おいはらとも可存候、又ハ 上様へきられ候とも可存と、 其外ハつらをはられ、さうりをなをし候共、 上様ヘと存知、秀頼様之儀大切二存知 、肝を煎可申と、 被成 御意候事」
って記述有るから秀吉が「上様」とも呼ばれていたのは間違いない。
秀吉死後は秀頼が「上様」になっても不思議は無いと思うけどな。
秀吉は「太閤様」、秀頼は「秀頼様」、家康は「内府公」、景勝は「景勝」になってるし
面と向かって本人宛に諱で送らなければ、間接的に本人に見られる可能性が高くても
あんまり避諱は意識していない感じかな
秀吉が送った手紙ばっかりだ、各大名から秀頼はなんて呼ばれてたんだろう
太閤様御覚書は秀吉の遺書の写しだから上様と発言したのは秀吉じゃないのかな
上様(主君)って意味なのか、それとも浅野長政が上様と意訳して書いたのだろうか
信長も同時代に上様宛と前右府宛があるから服属した大名クラス、直臣でも違いがあるのかも
直接本人宛でなくて近臣宛てに出して宜しく伝えて貰うって作法が有るからなぁ
※32もその類いだろう。
「上様」表記については
慶長二年十月七日付佐竹義重宛て佐竹義宣書状にも
「上様より仰出之儀も御座候、冶少被入御念被仰分候間」と上様表記があるけど
宗湛日記(博多商人神屋宗湛の日記)にも
「大谷刑部少輔トノハ、ソノ前、上様御機嫌悪シキニ依テ」
と秀吉を差した「上様」って表記が出てくる。
方や外様大名で方や商人だけどどっちも「上様」を使ってるし、
「(帝を除いて)一番偉い人」くらいのニュアンスで広く使われてたのかも知れん。
(勿論直接本人にそう呼びかけられるかは別として)
やはり秀吉死後は「上様」は秀頼を差すようになったと考えるのが自然か。
となると三成他は「上様」と避諱出来るにも関わらず敢えて諱で「秀頼様」と書いた事になるけど。
ところで有職読みって漢字で諱を記述しても
「有職読みのつもりで書いたからセーフ」って理論が成り立つの?
書面の諱が無礼なら漢字記述の時点でアウトな気がするんだけど
それらが廃れるとなんでそんな事やってたかの正確な理由がわからなくなる
となると学者先生が史料上に度々見られる傾向を照らし合わせてこういう習慣があったんだと考察していくしかなくなる
三成が上様と秀頼を書くと、秀吉の事と混同が起こるから避けたんじゃないの
信長も死後にわたって秀吉の書状に上様と呼ばれてるし
少なくとも江戸中期にはなぜ諱は避けないと無礼なのかが研究されてるから忌避は存在したとしかいえないしなあ
中国でも史書に書くのはセーフなのか、司馬遷みたいに徹底的避けてるからやっぱり史書でもアウトなのか分からんところもあるし
他の人物は身分の上下問わず、通称や官職で呼ばれてるのに秀頼はなぜ諱で呼ばれたのかってのは謎ではある
ひょっとしたらあくまで次期主君であって主君として見られてなかったのかもしれん
本名は大岡忠相、越前はあくまで官位の越前守から。
同心、与力など奉行所の面々は「お奉行様」
ほとんどの人は「越前」と呼び、「忠相」と名前で呼ぶのは、将軍吉宗と父親、親友の伊織だけ。
スルーされてるけどこれって歴史的人物だと思っていれば諱呼びも普通にしちゃう(陸機さんサイドは見過ごせなかった)ってことちゃう?
なぜ日本の例を出すww
清朝までの中国の士大夫層だと
諸葛(姓)
亮(本名:産まれた時につく。呼んで良いのは親と師匠など目上の人だけ。幼名に近い)
孔明(字:元服時につける。成人したら文章に記すとか呼び合うのはこっちだけ)
徳川竹千代家康に近いか?
もちろん主語抜けたり官職や住んでるとこや変なあだ名で呼ばれたりってとこは日本と同じ
ただ本名と字が一緒になることはない
もちろん庶民にはない
無双だと親しい人だけが字呼んでて(奉天さまとか孔明さまとか)草生える
実質親や目上の人間も字を使って諱なんて署名時くらいしか使われないよ
世説新語なんか親が子供を字呼びしてるのが記録に残ってるし
劉備も部下、たとえば法正なんかを孝直と読んでる
字呼びは親しい人や目上の人だけがして、他の人間は官職呼びだから
字呼びすら無礼で、劉備を字で呼んだ呂布や馬超は無礼だと書かれてるから
明確な敵が諱を呼ぶのも侮蔑と考えればおかしくはない
本当におかしいのは見方や部下を諱で呼んでること
ぜんぜん違う、陸機は陸遜の忌み名を呼ばれたことに怒ってお前にとっての盧植の関係だと失礼を承知で相手の祖父の忌み名を言い返してる
その後で弟の陸雲にそんな態度をとるなとたしなめられてる
この時代で忌み名を呼ぶことは過去の人間であっても明らかに失礼な行為
だからこそ孔子、老子などの尊称や高祖、諸葛忠武侯などの廟号を用いるのが礼儀
曹操も晋代~五胡十六国あたりでは魏武と呼ばれてる
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